努力狂信者に告ぐ

多くの人が、努力とは、嫌なことを苦しみながらもがんばること

というようなニュアンスで用いている気がします。

 

風呂に入るのが好きな人が、3時間風呂に入ってたら、

それは努力といえるでしょうか?

多くの人の答えは「ノー」でしょう。

 

勉強が嫌いな人が毎日朝から晩まで勉強してました。

これならどうでしょう。

きっとこれは誰もが認める努力でしょう。

 

では、勉強が好きな人が、毎日朝から晩まで勉強したならどうでしょう?

調べてみると、一部の人は、

好きなことをするだけだったら一切苦しい思いをしてないから努力とは言えない

と答えるようです。

 

はてさて、努力とはいったい何なのでしょうか?

Wikipediaによると、

【努力(どりょく)とは、目標を実現するために、身体を使ってつとめること。】

とあります。

 

この定義からすると、努力とは、好き、嫌いにかかわらず、

苦痛の大小にもかかわらず、

目標達成への行動をどれほど適切にとったかで決まるものと解釈できる。

 

失敗した人を、努力しない人、頑張らない人などと平気で言う人、

苦しむことを努力であるとはき違える日本語も理解できない低能が

偉そうな顔して他人を評価するから世の中が息苦しくなる。

 

そんな人たちがうつ病は甘えなどとほざき、

まじめで逃げることができなかった人たちが死んでいく。

 

嫌な世の中です...

 

まあ努力を美化しすぎた世間にも責任はあると思いますがね。

 

このように他人に努力努力言う人は、

きっと自分より劣った人を「頑張りが足りない人」に据えて、

自分を「頑張った人」にすることで安心してる臆病な人だと思います。

 

頑張ったかどうかなんて他人に言われることじゃないし、

「努力」の対象となる目標は人それぞれなので、

本来努力について他人に口出しすること自体ナンセンスです。

 

ですので、頑張りだの努力だのを他人に向かって押し付けたり批判してばかりの

頭のおかしい連中の言葉に傷ついたり、自己嫌悪したりするのは間違いです。

 

がんばらない、大いに結構。

 

自分の人生、自分の好きなように行きたいものです。